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終章

約束の灯台

パート1

 海が、きらきらしてた。

 あの朝と同じだ。金色のかけらが水の上にのっかって、波がゆれるたびに光もゆれて、海ぜんぶが息をしてるみたいだった。十年前の朝と、おんなじ光。

 でも、ひとつだけちがう。

 あのとき私は見送る側だった。今日は、帰ってくる側だ。

「ルナ、見えたぞ」

 マリンの声に顔を上げた。指差す先に――カンデラ島があった。

 小さな島。おうちが何軒かと、聖堂と、港があって、それでおしまいの、私の島。

 でも――沈んでなかった。

帰りの船

 出発したときは、港の石だたみが半分海に浸かっていた。今、石だたみが全部見えている。聖堂の壁は朝の光でオレンジ色にそまっている。島のまわりの海が、明るい青にもどっている。

「浮かんでる。島が、浮かんでる」

「当たり前だろ」マリンが鼻を鳴らした。「あんたが灯台で灯したんだから」

 灯船の帆がばさりと音を立てた。朝の風があたたかい。消灯域の凍える風とは、まるでちがう。潮の匂いがなつかしくて、胸がいっぱいになった。

 港に、人影が見えた。白い髪を朝の風になびかせて、聖堂のそばに立っている小さな人影。

 おばあちゃんだ。


島の灯火、再び

パート2

 灯船が港に着いた。私は甲板から飛び降りた。石だたみに足が着いた瞬間、膝がくずれそうになった。久しぶりの陸地。足が地面のかたさを忘れていた。

 おばあちゃんが、聖堂の前に立っていた。白い髪。しわだらけの顔。でも、にこにこ笑っている。灯火がろうそくみたいにやわらかく揺れている。

「おばあちゃん!」

 走った。つまずきそうになりながら。おばあちゃんの前で立ち止まった。いつの間にか、私のほうが背が高くなっていた。

 おばあちゃんの目がうるんでいた。でも、泣いていなかった。

「おかえり」

 おばあちゃんの視線が私のうしろを見ていた。港に降りてくる仲間たち。マリン、ソレイユ、リラさん、アッシュ、そして最後にイグニス。六人。全員。

「全員揃って帰ってきたのね」

「うん。約束通り、誰も犠牲にしなかったよ」

 おばあちゃんが、私の頭にそっと手を置いた。やせっぽちの手。でも、あったかい。

「よくがんばったね、ルナ」

 その言葉で、涙が出た。旅の間ずっと我慢していたものが、ぜんぶあふれた。

「おばあちゃん、灯台の中でお母さんに会ったの。お母さんの灯火が残ってて。笑ってたよ。おばあちゃんによろしくって」

 おばあちゃんがうなずいた。一回だけ、深く。十年前にお母さんを見送ったときと同じ深いうなずき。

「あの子は……いつも笑っていたからね」

 おばあちゃんが私を抱きしめてくれた。やせっぽちの腕なのに、ぎゅっとする力はつよい。十年前と変わらない。

ただいま

 港で仲間たちが見ていた。マリンがそっぽを向いている。目のふちが赤い。ソレイユが眼鏡を外して拭いている。リラさんが両手を胸の前で組んで、静かに涙をこぼしている。アッシュが空を見上げて、にやっと笑っている。

 イグニスは――じっと、私を見ていた。赤い目に、何かあたたかいものが揺れていた。


約束の食卓

パート3

 帰還の食事は、にぎやかだった。

 聖堂の前にテーブルを出して、ありったけの食材を並べた。おばあちゃんが大切にしまっておいてくれたアクアベリーがあった。口に入れると、しゅわってした。お母さんと最後に食べた、あの味。

 私はキッチンに立った。旅の間ずっと船の上で料理をしてきたけれど、久しぶりの陸の台所がうれしかった。火が安定する。鍋が揺れない。それだけで幸せだった。

 パンを焼いた。とろとろのたまごを作った。根菜のスープを煮込んで、アクアベリーをあまく煮詰めてジャムにした。お母さんがよく作ってくれた朝ごはんと同じ献立。テーブルにぜんぶ並べると、湯気がふわりと広がった。

「うわ、すげえ。船の上の飯とぜんぜんちがう」マリンが目を輝かせた。

「焼き加減が均一だ。やはり料理とは科学だな」ソレイユが感心した。

「ソレイユ、食べる前に論評しないでよ」

「これは賞賛だ」

 リラさんがお茶を淹れてくれた。ファナル島の薬草茶。旅の間ずっと飲んでいた味。

「ルナちゃん、この味付け……エレナさんの味に似てるわ」

「おばあちゃんに教えてもらったの。お母さんのレシピなんだ」

 アッシュがスープをひと口すすって、目を閉じた。

「こうやって誰かが自分のために作った飯を、仲間と一緒に食うのは――千年ぶりかもしれん」

 イグニスはテーブルの端に座っていた。以前ほど遠くはない。みんなの輪のぎりぎり内側。私がたまごをのせたパンを置くと、ひと口かじって言った。

「美味い」

 マリンが「おい暗殺者、顔赤いぞ」とからかって、イグニスが「黙れ」と返して、ソレイユが「興味深い生理現象だ」と観察して、リラさんが「まあまあ」と笑った。

 いつもの光景。船の上で何十回と繰り返した、いつもの光景。

 でも今日は、おばあちゃんがいる。カンデラ島の、この広場で。朝の光の中で。おばあちゃんがテーブルの端でにこにこしながら「みんなよく食べるねえ」と言っている。

 テーブルを囲む全員の灯火が、ゆらゆらと揺れて重なり合っていた。あったかかった。胸の奥が灯火の光でいっぱいになって、苦しいくらいあったかかった。


パート4

 食事のあと、それぞれの行く先を話した。

 ソレイユが言った。「ルーチェ島に帰る。灯台の真実を論文にして、父の名誉を回復する。それから――定点観測のために、またこの島に来る」

「それって遊びに来るってこと?」

「研究のためだ」

 マリンが肩をすくめた。

「あたしはエミセラ島に帰る。あそこにいる孤児たちの面倒を見てやらなきゃ」

 そう言って、照れくさそうに頭をかいた。

「あたしにとっての家族はここにいるけど――あいつらにも、家族が必要だからさ」

 マリンがにかっと笑った。年相応の、子供の笑顔。

「でも、また迎えに来いよ。来なかったらこっちから押しかけるからな。次の冒険の操舵手はあたしだ。契約だぞ」

「うん。約束する」

 リラさんが静かに言った。

「私はファナル島に帰るわ。巫女として、もう一度やり直す。今度こそ――自分のために」

 その声に迷いはなかった。十年前にこの島を去ったときのリラさんとは、まるでちがう。

「エレナさんが見た灯台の景色を、みんなに伝えたい。灯台は犠牲を求めていないんだってこと、次の世代に伝えていくの。それが、きっと巫女の仕事よ」

 リラさんがほほえんだ。穏やかで、つよくて、きれいな笑顔だった。

 アッシュが大きく伸びをした。

「灯台守りの役目は終わりだ。千年ぶりに好きなように旅をするさ。行きたい島に行って、飲みたい酒を飲んで、歌いたい歌をうたう」

「寂しくなったらカンデラ島においでよ」

「ああ。お前の料理は千年で一番美味かった」

「大げさだよ」

「千年生きた男が言うんだ。大げさじゃない」

 アッシュが笑った。陽気で、でもどこかしみじみとした笑顔。千年分の孤独がほどけていくような顔だった。

 それから――ヴォルクスのことを思い出した。

 灯台での戦いのあと、ヴォルクスは自分の選択の誤りを認めた。「犠牲は不可避だと信じていた。だが、灯台が求めていたのは犠牲ではなかった」と。フェロス島に帰り、影灯機関を解体すると言った。

 イグニスに対して「詫びる言葉を持っていない。お前から奪ったものは返せない」と言ったヴォルクスに、イグニスは静かに答えた。

「恨んでいないとは言わない。許すとも言わない。だが――もういい」

 それだけだった。それだけで十分だった。ヴォルクスが深くうなずいて背を向けたとき、イグニスの目の奥にあった暗い影が、すこしだけ薄くなったように見えた。


約束の灯台

パート5

 次の朝、仲間たちを見送った。

 マリンの灯船が最初に出ていった。白い帆が朝風をはらんで膨らむ。「じゃあな! また迎えに来いよ!」。マリンの声が海の上に響いた。帆がみるみる小さくなって、朝の光に溶けていった。

 ソレイユの乗合船が次に出た。「三ヶ月後に来る。それまでに灯火の変化を記録しておいてくれ」と学者らしい別れの言葉。でも、船べりから最後に手を振ったとき、目が赤かったのを私は見逃さなかった。

 リラさんは私をぎゅっと抱きしめてくれた。何も言わなかった。言わなくても、灯火が共鳴して伝わった。おばあちゃんが隣で手を振っていた。十年前にお母さんを見送ったときとは違って、笑いながら。

 アッシュは最後だった。「いい旅だった」と言って、ふり返って笑った。「千年後にまた会おう」。「千年は長すぎるよ!」。「冗談だ。来年あたり、飯を食いに来るさ」。千年ぶりの自由な足取りで、港の向こうに消えていった。

 港に残ったのは、私とイグニスとおばあちゃんだけだった。

 おばあちゃんが聖堂に戻っていった。「お昼ごはんの準備をしなきゃ」と言いながら。世界が救われた翌日でも、お昼ごはんの心配をする。それがおばあちゃんだ。

 私はイグニスと二人で、島の奥に歩いた。聖堂の裏の丘にある、カンデラ島の小さな灯台。白い壁はひび割れて、灯りはずっと消えたままだった。

 私は灯台の灯室に手を伸ばした。手のひらから灯火がこぼれ出す。お母さんの灯火と、私の灯火と、仲間たちからもらった灯火。ぜんぶが混ざり合った、あたたかい光。

 灯台に、灯りが灯った。

 ぽう、と。

 やわらかい光が広がって、丘を照らし、海を照らし、カンデラ島をまるごと包むみたいに広がった。

 ふとイグニスを見た。

 笑っていた。

 イグニスが、笑っていた。

 口元がほんのすこし上がって、目のまわりの筋肉がやわらかくゆるんで、頬にうっすらと影ができる。ほんの小さな変化。でも、まぎれもなく笑顔だった。

 影灯機関で感情を消された少年が。旅を通じて涙を取り戻し、怒りを取り戻し、温もりを取り戻して。今、笑っている。

「イグニス。笑ってるよ」

 イグニスの顔がこわばった。自分が笑っていたことに気づいていなかった。

「……この灯台の光を見ていたら、勝手に顔が動いた」

「それが笑うってことだよ」

 イグニスの耳が真っ赤になった。でも、口元のやわらかさは消えなかった。

 私は灯台を見上げた。小さな灯台。でも、世界の果ての灯台に負けないくらい、きれいな光。

 十年前、お母さんはこの島から旅に出た。「行ってくるね」と笑って、二度と帰らなかった。

 私は旅に出て、仲間を見つけて、灯台にたどり着いて、犠牲を払わずに世界を救って、全員で帰ってきた。誰も失わなかった。おばあちゃんが言ってくれた「犠牲を払わない方法を探しなさい」の答えを、ちゃんと見つけた。

 ――行ってくるね、ルナ。

 お母さんの声が聞こえた気がした。十年前と同じ、やさしい声。

「ただいま、お母さん」

 手のひらの灯火が、やさしく応えるように揺れた。

 海がきらきら光っている。世界はまだ回復の途中だ。やることはいっぱいある。でも、大丈夫。灯りは灯ったから。私たちの灯台に、灯りは灯ったから。

 いつかまたみんなで集まって、あのめちゃくちゃな寄せ鍋を作ろう。マリンが三杯おかわりして、ソレイユが味の分析を始めて、リラさんがお茶を淹れてくれて、アッシュが千年ぶりだと感動して、イグニスが「美味い」とぽつりと言う。そんな日が、きっとまた来る。約束したから。

 おばあちゃんが聖堂の鐘を鳴らした。お昼ごはんの合図だ。

「行こうか、イグニス」

「……ああ」

 小さな「ああ」だった。でも、その声はあたたかかった。灯火みたいに。

 丘を降りながら、もう一度だけ灯台をふり返った。

 灯りが灯っている。ちいさな灯台に、あたたかい灯りが。

 私たちの、約束の灯台が。

次の灯火
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