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第4話

百年樹の太鼓師

星読み通信 第四〇三号より

【見出し】百年に一度の「神鳴り太鼓」制作開始――ミヤモト太鼓工房六代目当主、先祖が植えた百年樹を伐採

東部辺境アカツキ州ハルヒノ町。大崩落以前より百六十年の歴史を持つミヤモト太鼓工房の六代目当主ヨルク・ミヤモト氏(五十八歳)が、工房裏手の「継ぎ手の森」に立つ百年樹の伐採を決行した。百年樹はミヤモト家初代当主が復興前夜に植えた霊木で、樹齢百十二年。この木から作られる太鼓は「神鳴り太鼓」と呼ばれ、打てば星脈を震わせ、大地に恵みをもたらすと伝えられている。制作には三年から五年を要するとされ、完成すれば百年ぶりの神鳴り太鼓となる。しかしミヤモト太鼓工房は六代にして初めて後継者が不在であり、ヨルク氏一人での制作に不安の声も上がっている。

一、朝靄の森

継ぎ手の森での木選び

 東の空がまだ闇を残している刻限に、ヨルク・ミヤモトは家を出た。

 五十八年の歳月が身体のあちこちに刻まれている。右膝は二十年前に傷めてから完全には治らず、冷えると鈍い痛みを訴えた。両手は節くれだち、爪の間には何十年分の木屑が染み込んで、いくら洗っても取れなくなっている。背中は曲がりかけていたが、まだ折れてはいなかった。ヨルクはその背中で、百六十年の歴史を支えている。

 ハルヒノ町は、テラ・ノーヴァ大陸東部辺境のアカツキ州に位置する小さな町だった。人口は三千人に満たない。大崩落以前から存在する古い集落で、星脈の支流が地表近くを走るため、土地は豊かで木々は大きく育つ。周囲を深い森に囲まれた盆地の中に、瓦屋根の家々がひしめいている。星読み通信の記者がかつてこの町を「大陸で最も静かな町」と評したことがある。朝は鳥の声で始まり、夜は虫の声で終わる。その間に、人間の暮らしがある。

 ヨルクの家は町の東の外れにあった。家そのものが工房であり、工房そのものが家だった。間口は広く、奥行きは深い。正面には「ミヤモト太鼓工房」の看板が掲げられている。木の看板で、文字は初代が自ら彫ったものだ。百六十年の風雨に晒されて表面は灰色に変色し、文字の輪郭はぼやけているが、まだ読める。初代の彫りが深かったからだ。

 工房の裏手には、森が広がっている。

 「継ぎ手の森」。

 ミヤモト家が代々管理してきた森だった。面積は広くはない。町の外縁から山の麓にかけて、南北に五百メートルほど。だが、そこに立つ木々は尋常ではなかった。

 ヨルクは石畳の小道を歩いて森に入った。朝靄が立ちこめている。足元の落ち葉は昨夜の露に濡れて、踏むたびにしっとりとした音を立てた。靄の向こうから、木々の幹がぼんやりと浮かび上がる。楓、欅、桐、杉——さまざまな木が混在しているが、そのすべてがミヤモト家の歴代の当主によって植えられたものだった。

 太鼓を作るには、木がいる。

 当たり前のことだが、太鼓職人にとってその「当たり前」は、百年という時間を伴う。祭礼に使う正式な太鼓——特に、星脈を震わせて大地の恵みを呼ぶ「神鳴り太鼓」を作るには、百年以上の歳月をかけて育った霊木が必要だった。星脈の力を百年吸い上げた木でなければ、打ったときに大地と共鳴しない。音は出るが、響かない。空気を揺らすだけで、大地を震わせることができない。

 だから、太鼓職人は木を植える。

 自分が使うためではない。百年後の子孫が使うために、木を植える。初代のミヤモトが植えた木は、百年後の二代目が伐って太鼓にした。二代目が植えた木は、三代目が。三代目が植えた木は、四代目が。そうやって百六十年、ミヤモト家は太鼓を作り続けてきた。

 木を植える者と、木を伐る者は、違う。

 植える者は完成を見ることができない。伐る者は始まりを知ることができない。だが両者は、一本の木を通じて繋がっている。それが「継ぎ手」だった。命を継ぐのではない。木を継ぐ。木を通じて技を継ぐ。百年という途方もない時間を、人の手が繋ぐ。

 ヨルクは靄の中を歩き続けた。

 足が勝手に道を選んでいた。五十八年の人生のうち、四十五年をこの森で過ごしてきた。十三歳で父に連れられて初めて森に入り、一本一本の木の名前を教えられた。「これはお前のひいじいさんが植えた楓だ」「この欅はもうすぐ百年になる」「あの桐はまだ若い。お前の孫が使うことになるだろう」。父の声が、今も耳に残っている。

 やがて靄の奥に、一本の巨木が見えた。

 他の木々とは明らかに異なる存在感があった。幹の太さは三人が手を広げてようやく囲めるほどで、根元は大地を鷲掴みにするように広がっている。樹皮は灰白色で、深い縦皺が幹を覆い尽くし、それ自体が大地の年輪のようだった。枝は四方八方に伸び、まだ葉のない梢が朝の空に指を広げている。早春のことで、芽はまだ固く閉じていたが、枝の先端にわずかな膨らみが見えた。百十二年の生命が、今年もまた春を迎えようとしていた。

 大楠——星楠と呼ばれる木だった。

 星脈の近くでしか育たない特殊な楠で、百年を超えると木の芯に星脈の力が結晶化する。その木で作られた太鼓は、打つたびに星脈と共鳴し、大地に恵みの波動を伝える。まさに「神鳴り太鼓」の材にふさわしい木だった。

 初代のミヤモトが、この木を植えた。

 百十二年前。大崩落の混乱がまだ大陸を覆っていた時代に、初代は一本の苗木を植えた。「百年後の祭りのために」。その言葉が家伝書に記されている。初代は自分の手でこの木から太鼓を作ることが叶わないと知っていた。百年待たなければならない。だが、それでも植えた。百年後の誰かを信じて。

 ヨルクは木の前に立ち、幹に手を当てた。

 冷たかった。早春の朝の冷気を吸い込んだ樹皮が、掌に冬の名残を伝えてくる。だが、その奥に——手のひらを押し当てて、じっと感覚を研ぎ澄ませると——かすかな温もりがあった。星脈の力が木の内部を巡り、生命を維持している。その脈動は、心臓の鼓動に似ていた。

 ゆっくりとした、しかし確かな律動。

 百十二年間、休むことなく脈打ち続けた鼓動だった。

「……今年だ」

 ヨルクは呟いた。声は低く、太い。寡黙な男の声だった。言葉を無駄にしない男の声だった。

 今年。この木を伐る。

 百年に一度の太鼓を作る。

 初代が植えた木を、六代目の自分が伐る。

 その重みが、掌を通じて身体の奥にまで響いた。

* * *

 森を出ると、空が白み始めていた。東の稜線の上に朝焼けが広がり、町の瓦屋根が橙色に染まっている。

 工房に戻ったヨルクは、まず火を起こした。工房の中央にある囲炉裏に炭を置き、火打石で火をつける。精霊炉式の発火装置もあるが、ヨルクはそれを使わない。炭の火でなければ、工房の朝は始まらない。火が炭に移り、ちりちりと小さな音を立て始めると、ヨルクは鉄瓶を掛けて湯を沸かした。

 湯が沸くまでの間に、道具の手入れをする。

 太鼓職人の道具は多くはない。だが、一つ一つが長い年月を経て職人の手に馴染んでいる。

 まず、鉞(まさかり)。木を伐り出すための大型の斧で、刃渡りは二十センチほどある。柄は樫の木で、ヨルクの祖父——四代目が使っていたものだ。刃は何度も研ぎ直されて元の半分ほどの幅になっているが、切れ味は鋭い。手に取ると、しっくりと掌に収まった。祖父の手の形が柄に残っている。父の手の形も重なっている。そしてヨルクの手の形が、さらにその上に刻まれている。

 次に、鑿(のみ)。大小十二本。木を刳り抜くための道具だ。太鼓の胴を一本の木から彫り出すには、この鑿が欠かせない。最も大きなものは刃幅が八センチ、最も小さなものは五ミリ。それぞれの刃の角度が微妙に異なり、木目の方向や硬さに応じて使い分ける。

 槌(つち)。鑿を打つための木槌で、これも樫の木製。頭の部分が使い込まれてわずかに凹んでいるが、まだ十分に使える。

 鉋(かんな)。胴の表面を仕上げるための道具。刃の出具合を調整するのに、ヨルクは十分以上かける。百分の一ミリの差が、太鼓の音に影響する。

 そして、革包丁。太鼓の皮を裁断し、加工するための専用の刃物。牛革を扱うこの道具だけは、ヨルクが自分で鍛えたものだった。

 道具を一つずつ手に取り、状態を確認する。刃を光にかざし、欠けがないか見る。柄を握り、緩みがないか確かめる。布で丁寧に拭き、油を薄く塗る。毎朝の儀式だった。四十五年間、一日も欠かしたことがない。

 湯が沸いた。

 ヨルクは茶を淹れた。番茶と呼ばれるアカツキ州特有の薬草茶で、苦味が強く、目が覚める。熱い茶を啜りながら、ヨルクは工房の中を見渡した。

 壁には太鼓が並んでいた。

 大小さまざまな太鼓が、壁の棚や床の台座に置かれている。最も大きなものは直径が一メートルを超え、最も小さなものは両手で抱えられるほどだ。そのどれもが、ヨルクの手で作られたものだった。胴は一本の木から刳り抜かれ、皮は丁寧になめされた牛革で、鋲は真鍮の手打ち。一つとして同じものはない。木が違い、皮が違い、そして作った時期のヨルクの状態が違うからだ。

 だが、壁に並ぶ太鼓の中に、一つだけ空いた場所があった。

 壁の正面、最も格の高い位置。そこには台座だけが置かれ、太鼓はない。台座の上には小さな木札が立てかけてあり、「神鳴り太鼓」と墨書されていた。

 百年に一度しか作れない太鼓。

 最後に神鳴り太鼓がこの台座に置かれたのは、三代目の時代だった。ヨルクの曾祖父が、二代目が植えた百年樹を使って制作した。それは今、ハルヒノ町の神殿に奉納されている。七十年以上前のことで、その太鼓は今も秋祭りで打ち鳴らされているが、皮は三度張り替えられ、胴にもひびが入り始めていた。

 新しい神鳴り太鼓が、必要だった。

 そしてその材料は、今朝ヨルクが手を当てた、あの百年樹しかない。

* * *

 茶を飲み終えたヨルクは、工房の奥にある小さな仏間——ミヤモト家では「木霊間(こだまのま)」と呼ぶ——に入った。

 壁には歴代当主の肖像画が並んでいる。初代から五代目まで、五枚。どの顔も厳めしく、どの手も太く、どの眼も木を見つめている。初代は大崩落直後の混乱の中で太鼓工房を開いた男で、肖像画の中でも鉞を手にしている。二代目は初代の技を体系化し、弟子を育てた。三代目は最後の神鳴り太鼓を作った名人で、その打音は三里先まで響いたと伝えられている。四代目はヨルクの祖父で、太鼓の皮の革なめし技法に革新をもたらした。五代目はヨルクの父、トシロウ。穏やかな顔をした男で、「木と話せ」が口癖だった。

 ヨルクは木霊間の正面に座り、両手を合わせた。

「百年樹を伐ります」

 声に出して報告した。寡黙な男だが、先祖には話しかける。返事はない。だが、肖像画の眼差しが少しだけ柔らかくなったように見えたのは、朝の光の加減だろうか。

「初代が植えた木です。百十二年。もう十分に育ちました。神鳴り太鼓を作ります」

 そこまで言って、ヨルクは少し黙った。

 言うべきことがもう一つあった。だが、それは喉の奥に引っかかって、なかなか出てこなかった。

「……弟子は、おりません」

 その言葉が、静かな木霊間に落ちた。

 百六十年の歴史で、ミヤモト太鼓工房に弟子がいなかったことは一度もない。初代から五代目まで、常に二人から五人の弟子が工房で修行していた。その中から次の当主が選ばれ、あるいは独立して自分の工房を持ち、太鼓作りの技を各地に広めていった。

 ヨルクが六代目を継いだのは三十二歳のときだった。父のトシロウが急な病で倒れ、そのまま帰らなかった。当時、工房には二人の弟子がいたが、一人は翌年に故郷に帰り、もう一人は三年後に王都に出て精霊技師になった。それ以降、ヨルクのもとに弟子入りを希望する者は現れなかった。

 太鼓職人の仕事は、厳しい。

 修行には最低十年を要する。その間の報酬は微々たるもので、朝は夜明け前から、夜は日が暮れるまで木と向き合い続ける。華やかさはない。名声もない。王都の精霊技師のように給金が高いわけでもなく、冒険者のように自由に旅ができるわけでもない。毎日同じ工房で、同じ道具を使い、同じ動作を繰り返す。木を切り、削り、彫り、磨く。来る日も来る日も。

 若者がこの仕事を選ばなくなるのは、ヨルクにも理解できた。

 だが、理解できることと受け入れられることは違う。

「一人で作ります」

 ヨルクは先祖に告げた。

 神鳴り太鼓の制作は、本来なら二人以上の職人が必要な仕事だった。百年樹の伐採には三人がかりで丸三日かかる。丸太の搬出にはさらに人手がいる。胴の刳り抜きは数ヶ月を要し、皮張りには二人の息の合った連携が不可欠とされている。

 だが、ヨルクには一人しかいない。

 自分一人しか。

* * *

 木霊間を出たヨルクは、居間の文机の上に置かれた手紙に目をやった。

 三ヶ月前に届いた手紙だった。何度も読み返して折り目が深くなり、紙の端が擦り切れている。差出人は、息子のレオン。二十八歳。王都で精霊技師として働いている。

 手紙の内容は覚えている。一字一句。

「父上。お変わりなくお過ごしでしょうか。こちらは仕事が忙しく、今年の秋祭りにも帰れそうにありません。申し訳なく思います。王都では精霊炉の新型の開発に携わっており、やりがいのある日々です。先日、主任技師に昇進しました。ご報告まで。妻のエルザにも子供ができました。来春の出産を楽しみにしています。お身体に気をつけてください。レオン」

 丁寧な手紙だった。息子らしい、きちんとした手紙だった。

 だが、その手紙のどこにも、「帰る」という言葉はなかった。

 レオンは十八歳でハルヒノ町を出た。「太鼓職人にはならない」と言った日のことを、ヨルクは今でも鮮明に覚えている。工房の土間で、レオンは父親の前に正座して言った。

「すみません。俺は——太鼓を継ぎません」

 ヨルクは何も言わなかった。怒らなかった。引き止めなかった。ただ黙って、息子の顔を見つめた。レオンの目には涙はなく、代わりに固い決意があった。それは、ヨルク自身が十三歳で太鼓職人になると決めたときの目と、同じ種類の光だった。

「精霊技術を学びたいんです。王都の技術院に入りたい。この町では——この工房では——俺にはできないことがあるんです」

 ヨルクは頷いた。一つだけ頷いた。

「行け」

 それだけ言った。

 レオンが出て行った後、工房に一人残ったヨルクは、長い間動かなかった。囲炉裏の火が燃え尽きて灰になるまで、微動だにしなかった。

 十年前のことだ。

 ヨルクは文机の手紙をそっと引き出しにしまい、工房に戻った。今日もやるべきことがある。百年樹の伐採に向けた準備。その前に、町の長老会に伐採の許可を得なければならない。

 百年樹は、ミヤモト家の私有林に立っている。だが、百年を超えた霊木の伐採には、町の長老会の承認が慣例として必要だった。百年樹は個人の財産であると同時に、町の守り神でもあるからだ。

二、町の長老会

 ハルヒノ町の長老会は、町の中央にある集会所で開かれた。

 集会所は古い木造の建物で、太い梁が天井を支えている。梁の一本一本が、かつてミヤモト太鼓工房が奉納した木材だと言われている。壁には町の年表が掛けられ、大崩落からの復興の歴史が綴られていた。

 長老は五人。いずれも七十歳を超えた町の古老で、農家の長、漁師の長、大工の長、薬師の長、そして祭礼の長が務めている。ヨルクが集会所に入ると、五人はすでに座布団の上に座っていた。

 祭礼の長であるハヤト・イチムラが、まず口を開いた。八十二歳。白い髭を蓄えた小柄な老人で、声は枯れているが芯がある。

「ヨルク。百年樹を伐ると聞いたが、本当か」

「はい」

「理由を聞こう」

「神鳴り太鼓を作ります。先の太鼓は七十年を超え、胴にひびが入っています。次の秋祭りまでに新しい太鼓を奉納したい」

 長老たちが顔を見合わせた。農家の長であるゴンベエ・サワムラが、禿げ上がった頭を掻きながら言った。

「秋祭りまでとなると——あと一年半か。間に合うのか」

「通常なら三年から五年かかります。ですが、木の乾燥に自然乾燥ではなく、星脈乾燥を併用します。樹齢百年を超えた星楠なら、芯に蓄えた星脈の力で内部から乾燥が進みます。一年あれば、胴の制作まで持っていけます」

「星脈乾燥か。三代目も使ったと記録にあるな」

 薬師の長であるセツ・ナガサワが静かに言った。七十五歳の女性で、町で唯一の薬師でもある。長い白髪を背中に流し、穏やかな表情をしているが、目は鋭い。

「三代目は弟子が三人いた。ヨルク、お前は一人だ。一人で百年樹を伐り、一人で胴を刳り、一人で皮を張るのか」

 ヨルクは一瞬だけ黙った。セツの言葉は正鵠を射ていた。

「一人で、やります」

「体力は持つのか。お前の身体は——」

「持たせます」

 ヨルクの声は静かだったが、揺るぎがなかった。セツはしばらくヨルクの目を見つめ、それからゆっくりと頷いた。

 大工の長であるケンゾウ・ツチダが腕を組んで言った。七十八歳。大きな身体の男で、現役を退いてなお腕の太さは若い大工に引けを取らない。

「伐採なら手伝おう。わしの弟子を何人か出してやる」

「ありがとうございます。ですが——」

「断るのか」

「伐採は、自分の手でやりたい。ミヤモトの太鼓は、伐採から始まる。最初の斧の一撃が、太鼓の音を決める。他の者に任せるわけにはいきません」

 ケンゾウは鼻を鳴らした。

「頑固者め。お前の親父もそうだったが、お前はもっとひどい」

「父に似たのでしょう」

「似すぎだ」

 長老たちの間に、かすかな笑いが起きた。

 漁師の長であるリキゾウ・ハマダが、太い腕を膝の上で組みながら言った。七十九歳。日に焼けた顔は革のように硬く、声は海鳴りのように低い。

「ヨルク。わしは太鼓のことはわからん。だが、一つだけ聞く。百年樹を伐って、次はどうする」

「次?」

「次の百年樹だ。お前が伐ったら、あの森にはもう百年樹がないだろう。次の神鳴り太鼓を作る者は、どうする」

 ヨルクは黙った。

 それは、ヨルク自身が考え続けてきた問いだった。

「……次の百年樹は、もう植えてあります。二十年前に、三本。父が亡くなった年に植えました」

「二十年か。あと八十年は待たねばならんな。お前の息子は——」

「レオンは、帰りません」

 その言葉が、集会所の空気を重くした。長老たちは皆、ヨルクの息子が王都に出たことを知っている。ハルヒノ町のような小さな町では、隠し事はできない。

 祭礼の長のハヤトが、しわがれた声で言った。

「ヨルク。伐採を許可する。だが、条件がある」

「何でしょう」

「伐採の日に、町の者を集めろ。百年樹の伐採は、百年に一度の行事だ。町の全員が見届けるべきだ。それから——」

 ハヤトは少し間を置いた。

「——後継者のことを、考えろ。今すぐとは言わん。だが、太鼓が完成するまでに、技を託す者を見つけろ。お前の代で百六十年の歴史が途絶えることだけは、この町は許さん」

 ヨルクは深く頭を下げた。

「努力します」

 それしか言えなかった。

三、伐採

 伐採の日は、春の彼岸に合わせて設定された。

 ハルヒノ町の住民のほとんどが、継ぎ手の森に集まった。農家の者、漁師の者、商人、職人、子供たち。三千人に満たない小さな町のことだから、集まったのは二百人ほどだったが、森の入口から百年樹の前まで、人の列が続いていた。

 朝の光が木々の間から差し込み、百年樹の幹を照らしていた。靄は晴れ、空は高く、風はなかった。伐採には最良の条件だった。風があると木の倒れる方向が読みにくくなる。

 ヨルクは百年樹の前に立った。

 白い作業着を身につけている。ミヤモト家の伐採衣で、胸には家紋——太鼓の中に木の葉を配した意匠——が染め抜かれている。頭には白い鉢巻を巻き、足元は足袋に草鞋。右手に鉞。左手に縄。腰には鑿と槌。

 ハヤト長老が進み出て、祝詞を上げた。

「百十二年の齢を重ねし星楠の大樹よ。初代ミヤモトが植え、星脈に育まれし御神木よ。今日、汝の命を頂く。汝の命は太鼓となり、大地を震わせ、星脈を揺るがし、町に恵みをもたらす。死にて生まれ変わり、百年の声となれ。——伐りなさい、ヨルク」

 ヨルクは百年樹に向かって一礼した。

 そして鉞を構えた。

 町の人々が、息を詰めた。

 ヨルクは木の幹を見つめた。どこに最初の一撃を入れるか。それは計算ではなく、感覚で決める。木目の流れ、樹皮の状態、根の張り方、枝の重心。すべてを見て、感じて、一点を選ぶ。

 最初の一撃が、太鼓の音を決める。

 父の言葉が蘇った。「鉞は木に訊くんだ。どこを打ってほしいか、木が教えてくれる。お前はただ、木の声を聞いて、そこに鉞を振り下ろせばいい」

 ヨルクは目を閉じた。

 掌を幹に当てた。樹皮のざらざらとした感触。その奥に、百十二年の脈動。星脈の力が木の芯を巡り、樹皮の下で微かに震えている。その震えに耳を澄ませる。

 木が、何かを伝えようとしている。

 それは言葉ではなかった。音でもなかった。だが、ヨルクの四十五年の経験が、それを「声」として受け取った。木の繊維が走る方向、年輪の密度の変化、内部の空洞の有無、芯材の硬さ——すべてが、掌を通じてヨルクの身体に流れ込んでくる。

 目を開けた。

 打つべき場所が、見えた。

 幹の南東面、地面から七十センチほどの高さ。そこに、わずかに樹皮の色が変わっている箇所がある。木の繊維が特に密に走っている場所で、ここに正確な角度で鉞を入れれば、木は北西方向——あらかじめ伐倒方向として設定した方角——に倒れる。

 ヨルクは鉞を頭上に掲げた。

 両手で柄を握り、腰を落とし、全身のばねを使って——

 振り下ろした。

 ガァン、と。

 森中に響き渡る衝撃音が、朝の静寂を打ち破った。

 鉞の刃が百年樹の幹に食い込んだ。切り口から白い木肌が覗き、甘い樹液の匂いが一気に広がった。星楠特有の、蜂蜜と白檀を混ぜたような芳香。百十二年の歳月が凝縮された匂いだった。

 木片が飛んだ。弧を描いて地面に落ちた木片は、断面が銀色に光っていた。星脈の結晶だ。百年を超えた星楠の年輪には、星脈の力が銀色の筋となって刻まれている。

 二撃目。三撃目。四撃目。

 ヨルクは規則正しいリズムで鉞を振り続けた。一撃ごとに木片が飛び、切り口が深くなっていく。ガァン。ガァン。ガァン。その音は、まるで太鼓を打っているかのようだった。百年樹が自らの最後の鼓動を響かせているかのように、森中に木霊した。

 一時間が過ぎた。

 切り口は幹の三分の一ほどまで達していた。ヨルクの額には汗が光り、呼吸は荒くなっている。五十八歳の身体には、百年樹との格闘は堪えた。だが、手は止めない。止めるわけにはいかない。

 伐採は一気に行わなければならない。途中で止めると、切り口から樹液が流れ出し、星脈の力が失われてしまう。百年樹の命を太鼓に閉じ込めるには、伐り始めたら最後まで——木が倒れるまで——鉞を振り続けなければならない。

 二時間。

 ヨルクの腕が震え始めた。鉞を振り上げるたびに、右肩の奥で何かが悲鳴を上げる。膝の古傷が疼き、腰が悲鳴を上げる。息は完全に上がり、鉞を一撃打つたびに視界が一瞬白くなった。

 だが、木はまだ倒れない。

 百年樹は、簡単には倒れない。百十二年の歳月をかけて根を張り、幹を太くし、枝を伸ばしてきた巨木は、人間の力に容易には屈しなかった。切り口は幹の半分を超えたが、木はびくともしない。

 三時間目に入ったとき、ヨルクの手から鉞が滑った。

 握力が限界に達していた。鉞が地面に落ち、ヨルクはその場に片膝をついた。荒い呼吸が白く立ちのぼる。掌を見ると、指の皮がめくれ、血が滲んでいた。

 見守っていた町の人々がざわめいた。

 ケンゾウが進み出ようとした。「わしが代わろう」。しかし、ヨルクは片手を上げてそれを制した。

「……まだだ」

 立ち上がった。

 鉞を拾った。血に濡れた手で柄を握り直した。

 木を見上げた。切り口から、かすかな音が聞こえた。ミシ、ミシ、と。木の繊維が一本ずつ切れていく音。百年樹が、自分の重みに耐えかねて傾き始めている。

 あと少しだ。

 ヨルクは鉞を振り上げた。もう腕に力はほとんど残っていない。だが、四十五年間の身体の記憶が、動作を自動的に再現する。腰の回転、肩の送り、手首の返し——すべてが一連の流れとして身体に刻まれている。

 ガァン。

 ガァン。

 ガァン。

 一撃ごとに、木が揺れた。枝が震え、梢から小さな芽が落ちてきた。まだ開いていない早春の芽が、ヨルクの肩に降りかかる。

 そして——

 ミシィッ、という、森を貫く音がした。

 百年樹が傾き始めた。

「——離れろ!」

 ヨルクが叫んだ。寡黙な男の、めったに聞けない大声だった。人々が後ずさる。

 百年樹はゆっくりと——信じられないほどゆっくりと——北西の方向に傾いていった。幹の切り口が裂け、白い木肌が太陽の光を浴びて銀色に輝いた。枝が隣の木々に当たり、葉と小枝を散らしながら、巨体が弧を描いて落ちていく。

 ドォォォン。

 地面を叩く衝撃が、森全体を揺るがした。大地が震え、足元から振動が伝わってくる。落ち葉が舞い上がり、鳥たちが一斉に飛び立った。枝が折れる音、幹が地面にめり込む音、そして余韻の振動が、長い長い残響となって森の中に木霊した。

 百年樹が、倒れた。

 ヨルクは倒れた巨木のそばに歩み寄り、切り口に手を当てた。年輪が同心円を描いて広がっている。百十二本の線。一本一本が、一年の命だ。外側の十数本は淡い色で、若い年輪だった。中心に近づくにつれて色は濃くなり、最も内側の年輪は——初代が植えた年のそれは——ほとんど黒に近い飴色をしていた。

 切り口の中心に、銀色の筋が放射状に走っていた。星脈の結晶だ。百年の歳月をかけて木の芯に蓄積された星脈の力が、銀色の光を放っている。指先で触れると、微かな温もりがあった。木は倒れたが、星脈の力はまだ生きている。

「……ありがとう」

 ヨルクは呟いた。百年樹に向かって。初代に向かって。百十二年の時間そのものに向かって。

 町の人々から、静かな拍手が起きた。

四、迷い込んだ弟子

工房での弟子

 伐採から十日が経っていた。

 百年樹の丸太は工房の横に設えた乾燥場に運び込まれていた。搬出には町の大工たちが手を貸してくれた。ヨルクは断ろうとしたが、ケンゾウに「伐採は譲った。搬出くらい手伝わせろ」と一喝されて引き下がった。八人がかりで丸太を引きずり、山道を半刻かけて工房まで運んだ。丸太が乾燥場に収まったとき、大工たちは額の汗を拭いながら口々に言った。「重い木だな」「星脈が詰まっている証拠だ」「いい太鼓になるぞ」。ヨルクは無言で頭を下げた。

 丸太は長さ二メートルに切り分けられ、横たえられている。太鼓の胴に使うのは、最も年輪の詰まった根元に近い部分だ。直径は八十センチほど。切り口は飴色の芯材と白い辺材がくっきりと分かれ、芯材の中を走る銀色の星脈結晶が、乾燥場の薄暗い光の中でも淡く自ら輝いていた。この丸太を三年から五年かけて乾燥させ、その後、中を刳り抜いて胴を形作る。通常ならば。

 ヨルクは星脈乾燥の準備を進めていた。丸太の切り口に地脈導石を当て、星楠の芯に残る星脈の力を利用して内部から水分を蒸発させる。自然乾燥よりも格段に速いが、加減を誤ると木が割れる。三代目の記録を何度も読み返し、導石の配置を慎重に決めた。

 その日の午後のことだった。

 ヨルクは工房の中で鑿を研いでいた。砥石の上で刃を滑らせる、しゃりしゃりという音が、静かな工房に響いている。窓の外では春の陽射しが庭を照らし、梅の木が白い花を咲かせていた。

 不意に、工房の入口から物音がした。

 がさりと、何かが倒れるような音。続いて、ひいっと息を呑む声。

 ヨルクは手を止めた。砥石の上に鑿を置き、立ち上がって入口に向かう。

 そこに、一人の少年がいた。

 工房の入口に積んであった端材の山に躓いたらしく、尻餅をついて目を白黒させている。歳は十四、五か。痩せた身体に、ぼろぼろの衣服。素足に擦り傷があちこちについている。だが、ヨルクの目を引いたのはそれらではなかった。

 少年の頭に、耳があった。

 人間の耳ではない。頭頂部から突き出した、三角形の獣の耳。灰褐色の毛に覆われ、先端がわずかに丸みを帯びている。狼か犬に似た形だが、それよりも大きい。耳の根元が少年の動揺に合わせて忙しなく動いている。

 そして、背後には尻尾。

 衣服の裾から突き出した太い尾が、怯えたように股の間に巻き込まれている。灰褐色の毛並みは頭の耳と同じ色で、先端だけが白かった。

 獣人。

 テラ・ノーヴァ大陸には、人間以外の知的種族がいくつか存在する。獣人はその一つで、人間と動物の特徴を兼ね備えた種族だった。大崩落以前は各地に集落を持っていたが、復興期の混乱の中で居場所を失い、今では都市の片隅や辺境の森に散在して暮らしている。ハルヒノ町の近くにも、山の奥に小さな獣人の集落があると聞いたことがあるが、ヨルクは実際に獣人を見たことがほとんどなかった。

「あ——あの——」

 少年が慌てて立ち上がろうとして、また端材に足を取られて転んだ。

 ヨルクは黙って見下ろしていた。腕を組み、表情を変えず、ただ見ていた。寡黙な男の無言は、時に威圧になる。少年の耳がぺたんと伏せられ、尻尾はますます巻き込まれた。

「す、すみません。入っちゃいけない場所だったんですか。あの、道に迷って——森の中を歩いていたら、ここに出て——すみません、すぐに出ていきますから——」

 早口に喋りながら、少年は後ずさりしようとした。

「待て」

 ヨルクの一言が、少年を凍りつかせた。

「腹は減っているか」

「え?」

「飯は食ったか、と聞いている」

 少年は呆然とした顔をした。この場で期待していたのは叱責か追い出しであって、食事の心配ではなかったのだろう。

「……食べてないです。昨日から」

 ヨルクは工房の奥に歩いていった。台所で冷や飯に味噌汁をかけ、漬物を添えた簡素な食事を用意して、少年の前に置いた。

「食え」

 少年は恐る恐る、椀を手に取った。最初の一口は控えめだったが、二口目からは堰を切ったように掻き込み始めた。獣人特有の犬歯が、飯を噛み砕く音を立てる。食べ終わるまで、ヨルクは黙って待った。

 三杯食べた。

「……ごちそうさまでした」

 少年が頭を下げた。耳がわずかに立ち上がっている。

「名前は」

「ルウ、です」

「ルウ。歳は」

「十四です」

「どこから来た」

「山の奥の——カガミ沢の集落です」

 カガミ沢。ヨルクも名前は聞いたことがある。ハルヒノ町から山道を半日ほど入った谷間にある、獣人の小さな集落だ。

「なぜ山を降りた」

 ルウは少し黙った。耳が伏せられ、尻尾が再び丸まった。

「……集落が、なくなったんです」

「なくなった?」

「冬の間に——星脈の流れが変わって、谷が崩れました。家が全部——潰れて。みんな散り散りになって。じいちゃんとばあちゃんは隣の町に行ったけど、俺は——行っても引き取ってくれるところがなくて。獣人だから。それで——」

 少年の声が震えた。だが、泣きはしなかった。泣く代わりに、唇を噛み締めた。

「行くところがなくて、森の中を歩いていたら、ここに出ました。本当にすみません。すぐに出ていきます」

「待て」

 ヨルクはもう一度言った。

 少年を見ていた。痩せた身体。擦り傷だらけの手足。ぼろぼろの衣服。だが、その目は死んでいなかった。怯えてはいるが、諦めてはいない。生きようとしている目だった。

 ヨルクは工房の中を見渡した。一人ではできないことが山ほどあった。百年樹の丸太の管理、乾燥の監視、道具の手入れ、工房の清掃。太鼓の制作以外の雑務が、ヨルクの時間と体力を蝕んでいた。

 だが、それだけではなかった。

 ヨルクは自分でも気づかないうちに、この工房の静寂に押し潰されかけていたのだ。四十五年間、ここに弟子がいた。父の代から数えれば百年以上、この工房には常に若い声があった。鉞を振る音、鑿を打つ音、それに混じって弟子たちの笑い声や愚痴が響いていた。それが、十年前から消えた。

 工房に残ったのは、ヨルクの一人分の音だけだった。

「しばらくここにいろ」

 ヨルクの口から、自分でも予想しなかった言葉が出た。

「え?」

「飯と寝る場所を出す。その代わり、雑用を手伝え。工房の掃除、道具の手入れ、飯の支度。できるか」

 ルウは目を丸くした。獣の耳が、驚きでぴんと立ち上がった。

「で、でも——俺、獣人ですよ。人間の工房に獣人がいたら——」

「耳があろうが尻尾があろうが、飯を食って箒が持てるなら関係ない」

 ヨルクはそれだけ言って、鑿研ぎに戻った。

 ルウは長い間、呆然と立ち尽くしていた。やがてその目に、涙とも光ともつかないものが浮かんだ。

「……ありがとうございます」

 小さな声だった。だが、工房の隅々にまで届く声だった。

* * *

 ルウが工房に住み始めて、最初の三日間は混乱の連続だった。

 獣人の少年は、人間の工房の作法を何一つ知らなかった。箒の持ち方が違う。雑巾の絞り方が違う。道具の置き場所を覚えられない。台所では鍋の火加減がわからず、飯を焦がした。

 ヨルクは一切怒らなかった。

 怒る代わりに、やって見せた。寡黙な男は言葉で教えない。自分がやって見せ、もう一度やって見せ、それでもわからなければ三度目をやって見せる。ルウが同じ動作を真似るまで、何度でも。

 三日目の朝、ルウが初めてまともに飯を炊いた。ヨルクは一口食べて、小さく頷いた。

「食える」

 それがヨルクの最大級の褒め言葉だと、ルウが気づくのはもう少し先のことだった。

 四日目から、ルウは工房の仕事にも手を出し始めた。

 きっかけは、ヨルクが丸太の星脈乾燥の作業をしているのを見たことだった。切り口に地脈導石を当て、その位置を微調整する。石の角度をわずかに変えるたびに、丸太の内部から微かな音がする。パキッ、パキッと、木の繊維が乾燥して収縮する音。その音を聞きながら、ヨルクは石の位置を調整していく。

「あの——」

 ルウが恐る恐る声をかけた。

「その石、もう少し右のほうがよくないですか」

 ヨルクの手が止まった。

「……なぜそう思う」

「えっと——音が。右にずらしたほうが、木の音が——安定するような気がして」

 ヨルクはルウの顔を見た。少年の耳が——獣人の、人間よりもはるかに鋭い聴覚を持つ耳が——丸太のほうに向いて、ぴくぴくと動いている。

 ヨルクは導石を少し右にずらした。

 パキッ、パキッ——音が変わった。それまで不規則だった乾燥音が、わずかに等間隔に近づいた。木の内部で、乾燥がより均一に進んでいることを示している。

 ヨルクは黙って、ルウを見つめた。

「す、すみません。出しゃばりました——」

「いや」

 ヨルクは首を横に振った。

「耳がいいな、お前は」

 ルウの獣耳がぴんと立った。

 それが、すべての始まりだった。

五、木の声を聞く者

 ルウが工房に来て一ヶ月が過ぎた。

 少年の生活は、すっかり工房のリズムに馴染んでいた。朝は夜明け前に起き、工房の掃除をして、飯の支度をする。ヨルクと一緒に朝食を取り、午前中は雑用をこなしながらヨルクの仕事を見学する。午後は丸太の乾燥状態を確認し、夕方には道具の手入れを手伝う。夜は囲炉裏の前で、ヨルクが語るわずかな言葉に耳を傾ける。

 ヨルクは相変わらず寡黙だった。だが、ルウがいることで、工房の空気が変わっていた。

 足音が二人分になった。

 息遣いが二人分になった。

 飯の量が倍になった。

 それだけのことで、工房は確かに息を吹き返していた。

 ルウの獣人としての能力は、太鼓作りにおいて予想外の力を発揮した。

 まず、聴覚。獣人の耳は人間の数倍の感度を持ち、人間には聞こえない高周波や低周波まで捉えることができる。太鼓の制作において、音は最も重要な指標の一つだ。木の乾燥具合、繊維の密度、内部の空洞や亀裂——すべてが音として現れる。ヨルクは四十五年の経験でそれを聞き分けてきたが、ルウはその鋭い耳で、ヨルクにも聞こえない微細な音を拾った。

「ヨルクさん、丸太の上のほう——三十センチくらいのところで、音が変です」

「変?」

「他のところはパキパキって乾いた音がするんですけど、そこだけ——ムチッて感じの、湿った音がします」

 ヨルクが指示された箇所を鑿で軽く叩いてみた。確かに、周囲とはわずかに違う音がする。導石の位置を調整し、乾燥が不均一になっている部分を重点的に処理した。放置すれば、そこから亀裂が入る可能性があった。

「よく聞こえたな」

「耳だけは自信あります。集落にいた頃、山で猟の手伝いをしてたんで。獲物の足音を聞き分けるのが俺の役目でした」

 次に、嗅覚。獣人の鼻は、木材の状態を匂いで判断することができた。乾燥が進んだ木と、まだ水分を含んだ木では、匂いが違う。さらに、星脈の力を含んだ木材には独特の甘い匂いがあり、その濃度で星脈の力の残留量を推測できた。

「この木、すごくいい匂いがします。甘くて——蜂蜜みたいで——でも、もっと深い。森の奥の、苔の生えた岩のそばにある匂い」

「それが星脈の匂いだ。百年分の星脈が凝縮されている」

「百年分……」

 ルウは丸太に鼻を近づけ、目を閉じて深く吸い込んだ。尻尾がゆっくりと左右に揺れた。

「すごい。なんだか——この木が生きてきた時間が、匂いの中に全部入ってるみたいです」

 ヨルクはその言葉を聞いて、わずかに目を見開いた。「木の中に時間がある」——それは、ヨルクの父、トシロウが言っていた言葉と同じだった。

「お前——太鼓を作ったことはあるか」

「ないです。叩いたことはあります。集落の祭りで」

「集落にも祭りがあるのか」

「ありました。秋に——収穫の後に、みんなで太鼓を叩いて踊るんです。太鼓は——たぶんすごく古いやつで、皮がぼろぼろになってたけど、叩くと——すごく気持ちいい音がしました」

「どんな音だ」

「えっと——言葉で言うのは難しいんですけど——叩くと、足の裏から震えが来るんです。地面が揺れてるみたいに。それで、胸の奥も震えて——心臓が、太鼓と一緒に鳴ってるみたいな感じで——」

 ルウは自分の胸に手を当てた。

「——みんなが、同じリズムで叩いてると、集落全体が一つの心臓になったみたいに感じるんです。あの感覚が——好きでした」

 ヨルクは黙って聞いていた。

 太鼓の本質を、この少年は知っている。言葉にはできなくても、身体で知っている。太鼓は音を出す道具ではない。人と人を繋ぐ道具だ。大地と人を繋ぐ道具だ。打つ者の心臓と聞く者の心臓を同期させ、一つのリズムに束ねる。それが太鼓の力だ。

「ルウ」

「はい」

「明日から——雑用だけじゃなく、仕事を手伝え」

 ルウの耳が跳ね上がった。

「え——仕事って、太鼓作りの?」

「他に何がある」

「で、でも俺、何も知らないですよ。鑿の使い方も、皮のなめし方も——」

「教える」

 その一言が、工房の空気を変えた。

 ヨルクが「教える」と口にしたのは、十年ぶりのことだった。最後の弟子が去って以来、誰にも言わなかった言葉だった。

 ルウは黙った。黙って、ヨルクの顔を見つめた。寡黙な男の顔に、表情らしい表情はなかった。だが、その目の奥に——ルウの鋭い獣の目は——微かな光を見た。

「……はい。よろしくお願いします」

 ルウが深く頭を下げた。獣の耳が、その角度に合わせてぺたんと伏せられた。

* * *

 ヨルクがルウに最初に教えたのは、鑿の持ち方だった。

「柄の端を、こう握る。小指と薬指で支えて、親指は添えるだけだ。力を入れるのは槌を打つほうの手で、鑿を持つ手は方向を定めるだけ。わかるか」

 ヨルクがやって見せた。鑿を左手に、槌を右手に持ち、木片に鑿を当てる。槌を振り下ろすと、コン、と軽い音がして、木片から薄い削り屑が弧を描いて飛んだ。

「やってみろ」

 ルウは鑿を受け取った。ヨルクの動作を真似て構えるが、手が震えている。緊張しているのだ。

「力を抜け。木は力で彫るんじゃない。刃の角度で彫る」

 コン。ルウが槌を振り下ろした。鑿が滑り、木片の表面を掻いただけだった。

「もう一度」

 コン。今度は鑿が深く入りすぎて、木片が割れた。

「角度が急すぎる。もっと寝かせろ」

 コン。コン。コン。

 何十回と繰り返すうちに、少しずつルウの手が安定してきた。削り屑の形が揃い始め、鑿の進む方向が定まってきた。

「ヨルクさん——手が痛いです」

「当たり前だ。最初の三ヶ月は手が痛い。半年経つと痛くなくなる。一年経つと、鑿が手の一部になる」

「一年……」

「太鼓作りは十年で一人前だ。一年なんて、入口にも立っていない」

 ルウは鑿を見つめた。十年。自分が二十四歳になるまで。途方もない時間に思えた。だが——集落を失い、行き場をなくしていた自分に、十年の未来が与えられたのだ。それは途方もない時間であると同時に、途方もない贈り物でもあった。

「やります。十年でも、二十年でも」

 ヨルクは何も言わなかった。ただ、新しい木片をルウの前に置いた。

 コン。コン。コン。

 鑿を打つ音が、工房に二つ響いた。

六、葛藤

 ルウが工房に来て三ヶ月が過ぎた頃、町に波紋が広がり始めた。

 ハルヒノ町の住民は、概して穏やかな人々だった。だが、古い町には古い慣習がある。ミヤモト太鼓工房の弟子に獣人が入った——その噂は、町中にあっという間に広まった。

 最初に声を上げたのは、祭礼の長老ハヤトの孫、タケシだった。三十代半ばの男で、町の祭礼委員を務めている。

「ヨルクさん、ちょっといいですか」

 タケシが工房を訪ねてきたのは、夏の盛りのことだった。ヨルクは丸太の乾燥状態を確認しているところで、ルウが傍らで導石の位置を調整していた。

 タケシはルウをちらりと見て、それからヨルクに向き直った。

「神鳴り太鼓の件ですが。あれは——秋祭りで神殿に奉納する太鼓ですよね」

「そうだ」

「その太鼓を——失礼ですが——獣人の手が入ったもので作るのは、問題がないでしょうか」

 ヨルクの手が止まった。

「問題とは」

「神殿の太鼓は、町の守り神に捧げるものです。古来より人間の手で作られてきた。そこに獣人の手が加わるのは——伝統に反するのではないかと」

 ヨルクはタケシを見た。悪意のある目ではなかった。本気で心配しているのだ。伝統を守りたいという、まっすぐな気持ちがある。だからこそ、ヨルクはすぐには答えなかった。

「タケシ。お前の爺さんに聞いてこい。初代のミヤモトが最初に太鼓を作ったとき、皮を提供したのは誰だ」

「え?」

「聞いてこい」

 タケシは怪訝な顔をして帰っていった。

 翌日、タケシは再び工房を訪れた。今度は、少し戸惑った表情をしていた。

「じいちゃんに聞きました。——初代のミヤモトが最初に太鼓を作ったとき、皮を提供したのは山の獣人たちだそうです」

「そうだ。大崩落の直後、人間は材料を集める余裕がなかった。初代が太鼓を作ろうとしたとき、牛の皮を持っていたのは山の獣人だけだった。獣人たちは皮を無償で提供し、さらに初代の太鼓が完成したときには、一緒に打ち鳴らして祝ったと記録にある」

「それは——知りませんでした」

「百六十年前の話だからな。忘れられても仕方ない。だが、わしは忘れていない。ミヤモト太鼓工房の歴史は、最初から人間だけのものじゃない」

 タケシは黙って頭を下げた。

 だが、町の声はそれだけでは収まらなかった。

* * *

 次に来たのは、長老会のセツだった。薬師の長老であるセツは、ヨルクの仕事を高く評価している人物だが、それゆえに辛辣でもあった。

「ヨルク。あの少年を弟子にするつもりかい」

 セツは工房の隅に座り、茶を啜りながら単刀直入に聞いた。ルウは買い出しに出ていて、工房にはヨルクとセツの二人だけだった。

「雑用の手伝いです」

「嘘をおつき。鑿の持ち方を教えている人間が、雑用と言っても通じないよ」

 ヨルクは黙った。

「あたしは別に反対しているんじゃない。ただ、聞きたいのさ。本気かい」

「……本気かどうか、自分でもわかりません」

「珍しいね。お前が迷いを口にするのは」

 ヨルクは囲炉裏の火を見つめた。炭が赤く燃えている。その赤さは、百年樹の芯に走る星脈の結晶の色に似ていた。

「百六十年の間、ミヤモト太鼓工房は人間の職人が継いできました。血縁でなくとも、弟子はすべて人間だった。技は人間の手から人間の手に渡ってきた。それを——獣人に渡すことが、正しいのかどうか」

「正しさの問題かい」

「正しさというか——先祖に対する責任です。初代が始めたものを、六代目のわしが勝手に形を変えていいのか」

 セツは茶碗を置いた。

「ヨルク。あたしは薬師だ。百年前のこの町では、薬草は人間だけが採れるとされていた。獣人は山の外に出してもらえなかった。だが五十年前、あたしの師匠が獣人の薬草師を弟子に取った。町は大騒ぎになった。『伝統が壊れる』『穢れる』と言う者もいた。だが師匠は言ったよ。『薬は病を治す。誰が作ろうが、治るものは治る』と」

「……その薬草師は」

「三十年、この町で薬を作り続けた。今は引退して山に帰ったが、あの者が作った薬で助かった命は数知れない。獣人の手で作った薬を、人間が飲んで命を拾ったのさ」

 ヨルクは黙っていた。

「技は血で繋がるんじゃない。心で繋がるのさ。お前の父親も、そう思っていたんじゃないかい」

 父。トシロウ。「木と話せ」が口癖だった穏やかな男。

 トシロウは、弟子の選び方について、一つだけ言ったことがある。

「木の声を聞ける者を選べ。それ以外の条件は、どうでもいい」

 木の声を聞ける者。

 ルウは——聞こえている。あの耳で、あの鋭い感覚で、木が発する微かな声を、確かに聞いている。

「セツさん」

「なんだい」

「もう少し——考えさせてください」

「考えるのはいいことさ。だが、考えすぎて手が止まるのは、よくないよ。特にお前のように、もう若くはない人間にとってはね」

 セツは茶碗を返して立ち上がった。腰が曲がりかけた小さな背中が、工房の入口から夏の光の中に消えていった。

* * *

 その夜、ヨルクは木霊間に入った。

 歴代当主の肖像画の前に座り、長い間黙っていた。囲炉裏の火が遠くでぱちぱちと爆ぜる音だけが、静寂を区切っている。

「親父」

 五代目の肖像画に向かって、ヨルクは語りかけた。

「あの少年を——弟子にしていいだろうか」

 返事はない。だが、ヨルクは語り続けた。

「獣人だ。人間じゃない。百六十年の伝統を——人間以外の者に渡すことになる。初代が許すだろうか。二代目が、三代目が、四代目が——」

 ヨルクは肖像画を一つずつ見つめた。厳めしい顔。太い手。木を見つめる眼。どの当主も、寡黙で頑固で、自分の仕事に一切の妥協を許さなかった。

「だが——あの少年は、木の声が聞こえる」

 声に力が入った。

「四十五年やってきて、わし以外に木の声が聞こえる者に会ったのは初めてだ。人間の弟子では——どれだけ教えても、どれだけ訓練しても、聞こえない者には聞こえなかった。だがルウは——教えてもいないのに、聞こえている」

 ヨルクは自分の手を見下ろした。節くれだった指。爪の間に染み込んだ木屑。四十五年の歳月が刻まれた手。

「レオンには——聞こえなかった」

 その言葉が、静かに落ちた。

 息子のレオン。聡明で、手先も器用で、太鼓職人の素質がなかったわけではない。だが、木の声が——聞こえなかった。木を叩いても、ただ音が返ってくるだけで、その奥にある木の意志を感じ取ることができなかった。レオンはそれを自覚していた。だからこそ、太鼓職人にはならないと決めたのだ。

 ヨルクはそれを責めたことがない。聞こえないものは、聞こえない。それは才能の問題ではなく、相性の問題だ。木がレオンに語りかけなかっただけのことだ。

 だが、木はルウに語りかけている。

 種族が違う少年に。

「親父。教えてくれ」

 肖像画は黙っていた。

 だが、ヨルクには——聞こえた気がした。父の口癖が、肖像画の向こうから。

 木の声を聞ける者を選べ。それ以外の条件は、どうでもいい。

七、胴の刳り抜き

 夏が過ぎ、秋が来た。

 百年樹の丸太は、半年の星脈乾燥を経て、表面に細かなひび割れが走り始めていた。これは乾燥が順調に進んでいる証拠だ。内部の水分が抜け、木の繊維が引き締まっている。ヨルクは毎日丸太を叩き、音の変化を確認した。乾き始めの頃は鈍くこもった音だったものが、日を追うごとに硬く澄んだ音に変わっていく。

「ルウ。聞こえるか」

「はい。先週より——音が高くなってます。それと、反響が長くなりました」

「反響が長いのは、内部の密度が上がっている証拠だ。水分が抜けて、繊維が詰まっている。もうすぐ彫り始められる」

 秋の彼岸を過ぎた日、ヨルクは丸太を最後にもう一度叩き、頷いた。

「よし。始めるぞ」

 胴の刳り抜き。太鼓作りの核心にあたる工程だ。

 一本の丸太の中身を鑿で彫り出し、円筒形の空洞を作る。この空洞が太鼓の音を決める。厚みが均一でなければ音にむらが出る。深すぎれば音が軽くなり、浅すぎれば音が詰まる。三代目の神鳴り太鼓は、胴の厚みが全周にわたって三センチ以内の誤差で揃っていたと記録されている。

 ヨルクは丸太の中心に墨で円を描いた。直径六十センチ。この円の内側をすべて鑿で彫り出す。深さは四十五センチ。気の遠くなるような作業だった。

「ルウ、こっちに来い」

 ルウが傍に寄った。ヨルクは太い鑿を手に取り、丸太の中心に当てた。

「最初の一鑿が、太鼓の声を決める。伐採の最初の一撃と同じだ。木に訊いて、打つ場所を選べ」

「俺が——打つんですか」

「お前の耳で聞いて、お前が決めろ。わしが彫る」

 ルウは丸太に耳を近づけた。獣の耳が丸太の表面に触れそうなほど近くまで寄り、目を閉じた。長い時間——五分ほど——じっと聞いていた。

「ここです」

 ルウが丸太の中心からわずかに東寄りの一点を指した。

「芯から少しずれてますけど——ここが、一番——木が響いてるところです。ここを起点にすれば、全体にきれいに音が回ると思います」

 ヨルクは指された場所に鑿を当てた。そして——

 コォン。

 槌が鑿を打った。太い鑿が丸太の木肌に食い込み、白い木屑が飛んだ。星楠の甘い匂いが立ちのぼる。打った瞬間、丸太全体がわずかに震えた。ルウの言った通り、その一点から放射状に振動が広がり、丸太の端まで届いた。

「……いい場所だ」

 ヨルクが呟いた。ルウの耳がぴくりと動いた。

 そこからは、ひたすら彫る日々が始まった。

 朝から晩まで。コン、コン、コン。鑿と槌の音が工房に響き続けた。ヨルクが彫り、ルウが木屑を掻き出し、彫り具合を耳で確認する。

「ヨルクさん、右のほうが少し厚いです。音が鈍い」

「わかった。もう少し攻める」

「そこ——もういいです。左と同じ音になりました」

 ルウの耳が、ヨルクの目になった。

 通常、胴の厚みの均一さは職人が指で触って確認する。内側と外側の壁を指で挟み、厚みの差を感じ取る。だが、それでは限界がある。木の繊維の密度が場所によって違うため、同じ厚みでも硬さが異なり、指の感覚だけでは正確な判断ができないことがある。

 ルウの耳は、その限界を超えた。

 鑿で彫った面を叩くと、厚い部分は低い音、薄い部分は高い音がする。ルウはその音の差を聞き分け、ヨルクに伝えた。胴の厚みは、全周にわたってほぼ完璧な均一さに近づいていった。

 一ヶ月。二ヶ月。三ヶ月。

 秋が深まり、冬が来た。工房の中は鑿と槌の音で満たされ、星楠の甘い匂いが染みついた。ヨルクの手は連日の作業で皮がめくれ、血が滲み、やがて硬い胼胝になった。ルウの手にも、少しずつ胼胝ができ始めていた。

 冬至を過ぎた頃、ヨルクの身体に異変が起きた。

 右肩が上がらなくなったのだ。

 朝、目が覚めて腕を動かそうとすると、肩の関節が焼けるように痛んだ。槌を振り上げることができない。五十八年の肉体が、ついに限界を告げたのだった。

「ヨルクさん、大丈夫ですか」

 ルウが心配そうに駆け寄った。

「大丈夫だ。古傷だ」

 大丈夫ではなかった。しかしヨルクは、認めるわけにいかなかった。胴の刳り抜きはまだ半分しか終わっていない。秋祭りまでの時間を考えると、ここで手を止めるわけにはいかない。

 ヨルクは左手で槌を握った。利き手ではない手で、鑿を打つ。精度が落ちる。力が足りない。コン、という音が、右手で打ったときとは明らかに違う。弱く、不安定で、鑿の角度がぶれる。

「ヨルクさん」

「黙って見ていろ」

「でも——」

「黙れと言った」

 ルウは口を閉じた。だが、その目はヨルクの右肩から離れなかった。

 三日間、ヨルクは左手で彫り続けた。進みは遅く、精度は低い。ヨルクの顔には苦痛の色が浮かんでいたが、手は止めなかった。四日目の朝、右肩の痛みがわずかに引いた。ヨルクは右手で槌を握り直し、恐る恐る振り上げた。痛みが走ったが、動く。まだ動く。

「……続けるぞ」

「はい」

 ルウの声に、いつもとは違う何かが混じっていた。ヨルクはそれに気づかなかった。だが、その日からルウの動きが変わった。木屑を掻き出す速度が上がり、導石の調整をヨルクが言う前に行い、道具の手入れを夜遅くまでかけて丁寧にやるようになった。

 ルウなりの、応えだった。言葉にはならない、身体で示す答えだった。

* * *

 冬が過ぎ、二度目の春が来た。

 胴の刳り抜きが、完了した。

 丸太だったものは、見事な円筒形に生まれ変わっていた。外径八十センチ、内径六十センチ、深さ四十五センチ。胴の厚みは全周にわたって一センチ以内の誤差に収まっている。三代目の記録を超える精度だった。ルウの耳がなければ、この精度は実現できなかった。

 ヨルクは完成した胴の内側を掌で撫でた。滑らかな木肌が、手に吸いつくような感触を返してくる。星楠の芯材は金色がかった飴色で、星脈の結晶が銀色の筋となって走っている。光を受けると、金と銀が交互に輝いて、まるで木の中に星空が閉じ込められているようだった。

「叩いてみろ」

 ヨルクがルウに言った。

「え?」

「掌で叩け。胴だけの音を聞く」

 ルウは恐る恐る、胴の縁を掌で叩いた。

 ゴォン。

 低く深い音が、工房全体を震わせた。床が揺れ、壁に掛けた太鼓が共鳴して小さく鳴った。工房の外にまで音が漏れ、庭の梅の枝から花びらが数枚、はらりと散った。

 ルウの目が見開かれた。

「すごい——まだ皮も張ってないのに、こんな音が——」

「百年の木だ。百年の命が、この音になっている」

 ヨルクは胴の外側に手を当てた。振動が、まだ続いている。長い残響。百年樹の魂が、音になって空気を震わせている。

「次は皮張りだ。これが——一番難しい」

八、皮張りと祭りの日

 皮張り。太鼓作りの最終工程にして、最も困難な作業だ。

 太鼓の皮には、地竜の背中の革を使う。地竜の革は厚く丈夫で、しなやかさと硬さを兼ね備えている。ミヤモト太鼓工房では、地竜の革を三年かけてなめし、さらに半年かけて延ばし、太鼓の胴に合わせて裁断する。通常なら。

 だが今回は時間がない。秋祭りまであと半年。ヨルクは工房に備蓄してあった地竜の革を引き出した。三年前になめし終えていたもので、質は申し分ない。

「この革を、胴に張る。だが——」

 ヨルクは革を広げながら言った。

「皮張りは、一人ではできない」

 ルウが息を呑んだ。ヨルクが「できない」と認めるのを聞くのは、初めてだった。

「革を水で濡らして柔らかくし、胴に被せ、引っ張りながら鋲で留める。引っ張る力が均一でなければ、音にむらが出る。一人が革を押さえ、もう一人が引っ張り、さらにもう一人が鋲を打つ——本来なら三人がかりの仕事だ」

「俺がやります」

 ルウが即答した。

「お前と二人でも、足りない」

「足ります。俺が革を押さえて引っ張ります。ヨルクさんが鋲を打ってください」

「革を押さえながら引っ張るのは、片手ずつ別の動きをすることになる。そんな器用なことが——」

「できます」

 ルウは自分の手を見た。人間よりも長い指。獣人の指は、握力が強い代わりに繊細な動きは苦手だとされている。だが、ルウは三ヶ月間の鑿の訓練で、指先の繊細さを鍛え上げていた。

「やってみせます」

 ヨルクはルウの目を見た。一年前、工房に迷い込んできた怯えた少年の目は、もうそこにはなかった。代わりに、職人の目があった。自分の仕事に対する覚悟を持った、真っ直ぐな目だった。

「……やるぞ」

* * *

 皮張りは、三日三晩に及んだ。

 まず革を水に浸す。冷たい井戸水に丸一日。革が十分に水を吸い、しなやかになったところで引き上げる。水を含んだ地竜の革は重い。ルウが両手で持ち上げ、ヨルクが胴の上に被せた。

 ここからが勝負だった。

 革は乾くと収縮する。濡れているうちに正確な張力で胴に固定しなければならない。時間との戦いだ。

 ルウが革の縁を両手で掴み、引っ張った。獣人の腕力は人間を凌ぐ。ルウの細い腕に筋が浮き、歯を食いしばって革を引く。

「もう少し——左を強く」

 ヨルクが指示を出す。ルウが左手の力を微調整する。

「そこだ。そのまま止めろ」

 ヨルクが鋲を打つ。カン、カン、と、真鍮の鋲が革を貫いて胴の縁に打ち込まれた。一本、二本、三本。鋲と鋲の間隔は正確に三センチ。ヨルクの目と手が、定規なしで正確な間隔を刻んでいく。

 一周。二十四本の鋲が打ち終わる。

「一列目、終わり。ルウ、力を抜くな」

「はい——っ」

 ルウの声が震えている。腕の筋肉が限界に近い。だが、手を離すわけにはいかない。革の張力が変わると、鋲の位置がずれる。ずれた鋲は音のむらになる。

 二周目。革をさらに強く引き、二列目の鋲を打つ。

 三周目。

 四周目。

 一日目が終わった頃には、ルウの腕は棒のようになっていた。握力はほとんど残っておらず、箸を持つのさえ苦労した。ヨルクが無言で握り飯を作り、ルウの前に置いた。ルウは獣人の犬歯で直接かぶりつき、咀嚼しながら腕を休めた。

 二日目。表側が終わり、裏側の作業に入る。太鼓は両面に皮を張る。裏側の皮は、表よりもわずかに薄い革を使う。表が主音、裏が副音。二つの音が胴の中で共鳴し、神鳴り太鼓独特の深い音色を生む。

 三日目の朝、最後の鋲が打ち終わった。

 ヨルクとルウは、完成した太鼓の前に座り込んだ。二人とも、疲労で口をきく力も残っていなかった。

 太鼓は——美しかった。

 星楠の金褐色の胴に、地竜の革の乳白色が映えている。真鍮の鋲が規則正しく並び、光を受けて鈍く輝いている。胴の表面には、百十二年の年輪が渦を巻くように走り、星脈の結晶が銀色の筋となって美しい模様を描いている。

 ヨルクが立ち上がった。

 壁に掛けてあった撥(ばち)を手に取った。檜で作られた細身の撥で、先端が丸く削られている。ヨルクの父、トシロウが遺した撥だった。

「打つぞ」

 ルウが頷いた。

 ヨルクは太鼓の正面に立った。撥を右手に持ち、腰を落とし、呼吸を整えた。

 工房の中が、静まり返った。

 風が止んだ。鳥の声が止んだ。虫の音が止んだ。まるで世界が、この一撃を待っているかのように。

 ヨルクは撥を振り上げた。

 そして——打った。

 ドォォォン。

 音が——爆発した。

 工房の壁が震えた。天井の梁がきしんだ。床の板が跳ねた。壁に掛けてあった太鼓がすべて共鳴し、それぞれの音で歌い始めた。音は工房を突き破り、庭を渡り、町の上に広がった。ハルヒノ町の隅々にまで、その音は届いた。

 だが、それだけではなかった。

 足の裏から、振動が来た。

 大地が——震えていた。

 太鼓の音が地面を伝わり、地中の星脈に触れ、星脈そのものを振動させていた。星楠の胴に百十二年分の星脈の力が蓄えられ、それが打音とともに解放されたのだ。

 ルウの全身の毛が逆立った。獣人の鋭い感覚が、大地の振動をダイレクトに受け取っている。

「ヨルクさん——地面が、鳴ってます——!」

「ああ。これが——神鳴り太鼓だ」

 ヨルクの目に、涙が浮かんでいた。五十八年の人生で、ヨルクが泣いたのは、父が亡くなったとき以来のことだった。

 音の残響が、長い長い時間をかけて消えていった。工房の中に、二人の荒い呼吸だけが残った。

「百年に一度の音だ」

 ヨルクは呟いた。

「初代が植えた木が、初代が夢見た音になった。百十二年かかった。初代も——聞いているだろうか」

 ルウは何も言えなかった。ただ、涙が頬を伝っていた。獣の耳は伏せられ、尻尾は力なく垂れ下がっていたが、その顔には——言葉にならない感動が刻まれていた。

* * *

祭りの太鼓の初打ち

 秋祭りの日が来た。

 ハルヒノ町の秋祭りは、収穫の感謝と星脈の恵みを祝う祭りだ。大崩落の前から続く古い祭りで、町の全員が参加する。朝から夜まで、町中に笛と太鼓の音が溢れ、人々は歌い、踊り、酒を飲む。

 今年の祭りは、特別だった。

 百年に一度の神鳴り太鼓が、神殿に奉納される。

 ヨルクは早朝から準備を始めた。白い祭礼衣に着替え、頭に白い鉢巻を巻く。伐採の日と同じ装いだ。太鼓を専用の台車に載せ、工房から神殿までの道を運ぶ。ルウが台車の後ろを押した。

 町の通りには、すでに人が溢れていた。ヨルクと神鳴り太鼓が通ると、人々が道の両側に立って見守った。拍手をする者、手を合わせる者、ただ黙って見つめる者。百年に一度の太鼓を目にする機会は、一生に一度あるかないかだ。

 神殿は町の中央にある小さな社だった。木造の簡素な建物で、境内には御神木の大楠が立っている。この楠も星楠の一種で、樹齢は三百年を超えると言われている。百年樹の「姉」にあたる木だ。

 神殿の前に太鼓が据えられた。

 祭礼の長老ハヤトが祝詞を上げ、神酒が供えられた。町の人々が境内を埋め尽くしている。子供たちが親の背中から顔を出し、若者たちが木に登って見下ろしている。

「ヨルク。打ちなさい」

 ハヤトの声が、境内に響いた。

 ヨルクは太鼓の前に立った。右手に撥。左手に撥。二本の撥を構え、腰を落とした。

 静寂が降りた。

 数百人の人間が、一斉に息を詰めた。風が止んだ。鳥が黙った。御神木の葉すら揺れなかった。

 ヨルクは目を閉じた。

 百年樹の前に立ったときのように、感覚を研ぎ澄ませた。太鼓の皮の向こうに、百十二年の木の命がある。初代が植えた苗木の、か細い根が大地を掴んだ瞬間がある。二代目が木陰で弟子に技を教えた午後がある。三代目が神鳴り太鼓を打ち鳴らした祭りの夜がある。四代目が革を鞣した冬の工房がある。五代目が「木と話せ」と言った静かな声がある。

 そして——六代目のヨルクが、百年樹に最初の鉞を振り下ろした朝がある。

 すべてが、この太鼓の中に閉じ込められている。

 目を開けた。

 撥を振り上げた。

 打った。

 ドォォオオオン——!

 神鳴り太鼓の音が、ハルヒノ町を包んだ。

 大地が震えた。星脈が揺れた。御神木の葉が一斉にさざめいた。地中の星脈の支流が太鼓の振動に呼応し、大地の奥深くから温かなエネルギーが地表に湧き上がってきた。足の裏から全身に伝わる、大地の鼓動。

 ヨルクは二撃目を打った。三撃目。四撃目。

 リズムが生まれた。心臓の鼓動に似た、規則正しいリズム。ドン、ドン、ドン。一打ごとに大地が応え、星脈が歌い、空気が震えた。

 人々の足が動き始めた。

 最初は子供たちだった。太鼓のリズムに合わせて飛び跳ね、笑いながら踊り出した。次に若者たち。そして大人たち。老人たちまでもが、身体を揺すり、手を叩き、太鼓のリズムに身を委ねた。

 全員が同じリズムで動いている。心臓が同じ速さで打っている。町全体が一つの生き物のように、太鼓の音で脈打っていた。

 ルウは境内の隅に立って、その光景を見ていた。

 目の前で起きていることが、信じられなかった。一本の木と一枚の皮が生む音が、数百人の人間を一つにしている。大地を震わせ、星脈を揺るがし、人の心臓を同期させている。

 これが——太鼓の力だ。

 かつてカガミ沢の集落で、仲間と一緒に古い太鼓を叩いたときに感じた、あの感覚。みんなが一つになる感覚。でもあのときは、こんなに——こんなに大きな力ではなかった。

 ヨルクの撥が止まった。

 最後の一打の残響が、長い長い時間をかけて消えていった。境内は、水を打ったように静まり返った。

 そして——爆発するような歓声が上がった。

 人々が叫び、泣き、笑い、抱き合った。百年に一度の太鼓が鳴った。大地が応えた。星脈が祝福した。ハルヒノ町の新しい百年が、今、始まったのだ。

 ヨルクは太鼓の前にゆっくりと膝をつき、深く頭を下げた。太鼓に。初代に。百年樹に。そして——

 顔を上げて、ルウを見た。

 境内の隅で、涙を流しながら立っている少年を。

 ヨルクは立ち上がり、ルウのもとに歩いた。人々の歓声の中を、真っ直ぐに。

 ルウの前に立ち、右手に持っていた撥を差し出した。

 父の撥。五代目トシロウの撥。

「受け取れ」

 ルウは撥を見つめた。顔が涙で濡れている。獣の耳が震えている。

「受け取れ、ルウ。お前は——わしの弟子だ」

 その言葉を言ったとき、ヨルクの声はかすかに震えた。だが、目は揺るがなかった。

 技は血で繋がるのではない。心で繋がるのだ。

 初代が植えた木を、六代目が伐った。六代目が作った太鼓の音を、獣人の少年が聞いた。その耳で、その心で、百十二年の声を聞いた。それは紛れもない「継承」だった。百六十年の歴史が選んだ、次の継ぎ手。

 ルウは両手で撥を受け取った。

 細い指が、檜の撥をしっかりと握った。

「……はい。はい——!」

 声が裏返っていた。涙が止まらなかった。だが、獣の耳は——ぴんと立っていた。前を向いて。未来を向いて。

 ヨルクは背中を向けた。涙を見せるのは、一生に二度で十分だった。

 境内に戻り、太鼓の横に立った。

 そして、もう一度——ルウに向かって言った。

「明日から、本格的に教える。十年でものにならなかったら、破門だ」

 ルウの泣き笑いの声が聞こえた。

「十年なんて言わないでください。一生かけます」

 ヨルクはわずかに——本当にわずかに——口角を上げた。

 秋風がハルヒノ町の上を吹き抜けた。御神木の葉が、さらさらと音を立てた。百年樹のあった場所では、二十年前にヨルクが植えた三本の若い星楠が、風に枝を揺らしていた。

 あと八十年。

 その木が百年樹になる頃、この太鼓を引き継いだ者が——あるいはルウの弟子が——新たな神鳴り太鼓を打つだろう。

 百年の森は、そうやって続いていく。

 人の手から、人の手へ。

 種族を超えて。時代を超えて。

 木は植えられ、育ち、伐られ、太鼓になり、大地を震わせる。そしてまた、木が植えられる。

 百年の円環は、終わらない。

 編集部のデスクに、若い記者のカイルが原稿を置いた。

「デスク、ミヤモト太鼓工房の後日取材、まとまりました」

 編集長のゲルトが原稿に目を通した。白髪交じりの眉が、読み進めるにつれて何度も上下した。

「ほう——獣人の弟子、か」

「はい。ルウという十四歳の少年です。カガミ沢の出身で、集落が崩壊した後に工房に迷い込んだそうです。今はヨルク氏の正式な弟子として、胴の刳り抜きの基礎訓練を受けています」

「六代目にして初めての異種族の弟子。百六十年の工房にとっては、大事件だな」

「町でも賛否が分かれたようですが——秋祭りの神鳴り太鼓の奉納で、世論は一変しました。あの太鼓の精度は、ルウの聴覚がなければ実現できなかったと、ヨルク氏自身が認めています」

「太鼓が町の世論を変えたか。まさに神鳴りだな」

 ゲルトは原稿を置き、椅子の背にもたれかかった。

「しかし、よく考えると面白い話だ。百年前に植えた木を、今の人間が伐って太鼓にする。その太鼓を、獣人の少年が受け継ぐ。植えた者は伐る者を知らず、伐った者は継ぐ者を想像もしなかった。百年という時間は、人間の想像力を超えるものだな」

「そうですね。ヨルク氏は『百年後のことは、百年後の者が決める。今の自分にできるのは、最良の木を植え、最良の太鼓を作り、最良の弟子に託すことだけだ』と言っていました」

「いい言葉だ。——ところで、ルウ少年のことだが。あの少年、ヨルク氏にとって初めて弟子入りを『許した』相手だそうだな」

「はい。十年間、弟子の希望者がゼロだったわけではないそうです。何人かは訪ねてきた。でもヨルク氏は全員断った。『木の声が聞こえない者には教えられない』と」

「獣人の耳が、百六十年の壁を越えたわけだ」

「耳だけじゃないと思います」

 カイルは少し考えてから言った。

「ルウ少年は——居場所を失った子供です。集落を失い、行き場がなかった。ヨルク氏も——息子が去り、弟子もいない。工房で一人だった。二人とも、何かを失っていた。その二人が出会って、互いに必要なものを見つけた。耳の良さとか技術とか、そういうことの前に——」

「——心が繋がったのかもしれない、か」

「はい」

 ゲルトは目を細め、ゆっくりと頷いた。

「見出しは決まったか」

「はい。——『木は、百年先を知っている』」

 ゲルトは数秒間、その言葉を噛みしめるように黙っていた。

「それでいい。出せ」


30秒アニメCM コンテ

**カット1(0:00〜0:05)** 朝靄の森。巨大な星楠の幹を見上げるカメラ。樹皮の皺、枝の広がり、銀色に光る年輪が一瞬映る。幹に節くれだった手が触れる。ヨルクの横顔、目を閉じている。 ナレーション:「百年前、ある男が一本の木を植えた。百年後の祭りのために」

**カット2(0:05〜0:10)** 鉞が振り下ろされ、白い木片が飛散する。ガァン、ガァン、とリズミカルな伐採音。汗が光るヨルクの腕。木が傾き始め、森全体がスローモーションで揺れる。 ナレーション:「六代目の太鼓師が、その木を伐る。一人で」

**カット3(0:10〜0:15)** 工房の入口に立つ少年のシルエット。カメラが寄ると、頭の上に獣の耳。怯えた目。ヨルクが無言で飯を差し出す。少年が恐る恐る受け取る。 ナレーション:「迷い込んだのは、行き場のない獣人の少年」

**カット4(0:15〜0:21)** ルウが丸太に耳を当てている。獣の耳がぴくぴくと動く。「ここです」と指差す。ヨルクが鑿を当て、打つ。コォン。木屑が飛ぶ。二人の横顔が並ぶ。 ナレーション:「獣の耳が、百年の木の声を聞いた」

**カット5(0:21〜0:26)** 秋祭りの境内。ヨルクが撥を振り上げ、太鼓を打つ。ドォォン。衝撃波のように音が広がり、地面が揺れ、人々の目が見開かれる。足元から光の波紋が広がっていく。 ナレーション:「百年に一度の音が、大地を震わせる」

**カット6(0:26〜0:30)** ヨルクがルウに撥を差し出す。ルウの涙に濡れた顔。撥を握る手のアップ。最後に、若い三本の星楠が風に揺れる遠景。タイトルロゴが浮かび上がる。 ナレーション:「技は血ではなく、心で継がれる」 テロップ:「星読みニュースと十の仕事 第四話『百年樹の太鼓師』」

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